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最高裁判所第二小法廷 昭和26年(オ)669号 判決 1954年3月12日

下松市大字西豊井一〇二一番地

上告人

下松土地株式会社

右代表者代表取締役

山田孝太郎

同市中市一一三一番地

上告人

松村義一

徳山市大字久米三七六三番地

上告人

山県寿祥

山口県都濃郡須金村大字須万二四七二番地

上告人

三浦佐一

同所同番地

上告人

三浦英〓

同所二四六五番地

上告人

三浦卓

右六名訴訟代理人弁護士

岩田宙造

河本喜与之

被上告人

右代表者法務大臣

犬養健

右当事者間の農地買収対価変更等請求事件について、広島高等裁判所が昭和二六年九月一〇日言渡した判決に対し、上告人等から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人等の負担とする。

理由

上告代理人弁護士岩田宙造、同河本喜与之の上告理由第一点について。

本訴の請求の趣旨が第一次には本件農地の所有権がそれぞれ上告人等に属することの確認を求めるものであることは記録上明らかであるから本訴の訴訟物が私法上の権利関係であることは疑を容れないところである。ただ本訴においては上告人等が本件農地の所有権を有する理由として本件買収処分が無効であると主張するのであるから本件請求の当否を判断するには自ら行政処分たる本件買収処分の有効無効を判断する必要がある訳ではあるが、それは請求の原因についての判断に過ぎないのである。従つて請求の原因として行政処分の無効を主張したからといつて本訴をもつて公法上の権利関係に関する訴訟であると解することはできないのであつて、原判決が同一趣旨の下に本件第一次の請求につき被告の変更を許さなかつたのは正当である。それゆえ論旨は理由がない。

同第二点について。

論旨第三点に対する後記説明の如く原判決が国内法としての自作農創設特別措置法六条三項の買収対価が憲法二九条三項の正当な補償にあたると解したことが正当である以上上告人等の本訴請求は排斥を免れないのであるから原判決が自作農創設特別措置法をもつて超憲法なものであると判断した点は蛇足の説明に帰する。従つてこの点に関する論旨は採るを得ない。

同第三点について。

自作農創設特別措置法六条三項の買収対価が憲法二九条三項の正当な補償にあたると解すべきことは当裁判所の判例とするところである(昭和二五年(オ)第九八号、同二八年一二月二三日大法廷判決参照)。従つて所論違憲の主張はその理由がない。

よつて民訴四〇一条、九五条、八九条により裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 霜山精一 裁判官 栗山茂 裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 谷村唯一郎)

昭和二六年(オ)第六六九号

上告人 下松土地株式会社

外五名

被上告人 國

上告代理人岩田宙造、同河本喜興之の上告理由

第一点 原判決には行政事件訴訟特例法第一条及び第二条の解釋を誤りたる違法がある。

一、本件原告たる上告人等の中、最初訴状に山口縣知事を被告として記載し、後これを国と訂正したるものに對し原判決は、本訴にありては訴提起の後右のような被告の変更は許されないものとしてこれを拒否し、その理由として左の通り説明している。

本訴の請求の趣旨が第一次には本件農地の所有權がそれぞれ控訴人等に屬することの確認を求め、第二次に自作農創設特別措置法第十四条により買收對價の增額を求めるものであることは記録に徴し明らかである。そこで第一次の請求について右被告の変更が許されるか否かにつき考えるに、右請求の訴訟物が私法上の權利関係であることは請求の趣旨に徴し明らかであつて、控訴人等が本件農地が控訴人等の所有に屬する理由として本件買收処分が無效であると主張することは、右訴訟物が私法上の權利関係であることに何等影響するところはないといわなければならない。そうすると、本件第一次の請求について被告の変更が許されるか否かは專ら通常の民事訴訟の法理に従つて解決すべきであつて、当事者の変更に関する行政事件訴訟特例法第七条の規定を適用することは許されない。そして(中略)本件のような場合に当事者の変更を許す旨の規定は民事訴訟法上存しないから、本件第一次の請求については被告の変更を許さないものといわなければならない。

然れども右は行政事件訴訟特例法第一条に所謂「その他公法上の權利関係に関する訴訟」の意味を誤解したものである。或訴訟が公法上の權利関係に関するや否やを判別する基準は、これを何れに求むべきやにつき案するに、いうまでもなく裁判所がその爭訟を審理判斷するに当り取扱う對象の上にこれを求むべきものである。即ち、本訴にありては係爭の土地の買收処分がそれである。裁判所が本訴を裁判するに当りては終始その処分を目的物とし、その処分が適法であつたか違法であつたかを審理判斷することを要し、又これを審理判斷するを以て足るのであるから、裁判所が本訴に於て取扱う對象は正しく前示特例法第一条にいう所の「公法上の權利関係」であつて、本訴が行政事件の部類に屬し前示特例法の適用を受くべきものであることは毫も疑ない所である。

二、原判決は本訴第一次の請求が所有權の確認を求むるものであるから、訴訟物が私法上の權利関係であり従つて民事訴訟であるというが、これ全く訴訟の本質を無視した皮相の形式論に過ぎない。本訴に於て原告たる上告人が勝訴したときは、その結果として得るものは所有權であること勿論であるが、これは訴訟を終りたる後に招来せられる結果に過ぎない。訴訟はこの結果を得るに至るまでの手續であつて、訴訟関係はこの手續中の事象を目的として定められるものである。而して本訴は前述のようにその訴訟手續中取扱う目的物は係爭の買收処分即ち公法上の權利関係であるから、訴訟関係はこれを基準として定めらるべきは当然である。例えば裁判所の構成についても公法に堪能な部員を以て構成せられた部に行政事件を擔当せしむるのは、訴訟手續中に取扱う法規関係を基準とするのであつて、判決後に当事者が受ける結果が公法関係であるか私法関係であるかによるものではない。原判決が本訴は原告が判決により私法上の所有權を得ることを目的とするものであるから民事々件であつて行政事件訴訟特例法の適用がないというのは、同法を誤解したものであつて、この点では上告論旨と同趣旨の第一審判決が正当である。

三、或は本訴は右行政事件訴訟特例法の適用を受くるものとしても、同第七条により被告の変更が許されるのは同第二条の訴即ち違法処分の取消又は変更を求むる訴でなければならぬ。然るに本訴は処分の無效を主張するものであつて、取消又は変更を求むるものでないから、結局被告の変更は許されぬものであるとの論があるかも知れぬ。併しなからこれ亦單に文字の末に拘泥した謬論たるに過ぎない。違法処分の取消を求むるものと無效を主張するものとは、五十歩百歩であつてその本質に於て毫も異るところのないことは敢て説明を要しないであろう。取消の訴にはこれを許し無效の訴にはこれを許さないという區別を設け 理由は絶對に認められない。少くとも取消の訴について被告の変更が許される以上、無效の訴についてもその準用を認むべきは当然である。

第二点 原判決には、我が憲法に準拠して制定せられた法律を以て憲法に超越してその支配を受けぬものと冒斷した違法がある。

一、原判決は自作農創設特別措置法(以下自創法と略稱する)が我が憲法の支配を受けるものであるや否やを判斷するに当り、左記掲示のような理由によりこれを否定している。

先ず自創法が憲法に優先するものであるか否かについて判斷する。自創法は連合軍最高司令官から日本政府宛の一九四五年十二月九日附覺書に従い(中略)制定公布されたものである。(中略)右覺書に従つて制定公布された自創法が特に昭和二十年勅令第五四二号「ポツダム」宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く政令によらずに、憲法の下における一般法律の形式に従つて公布された点に鑑みると自創法が日本管理法令の性格を有するものと考えることは困難であつた。ところが、連合軍最高司令官は一九四八年二月四日附日本政府宛の覺書において「自創法等は封建的土地所有制度を廃止し、公平且つ民主的な基礎による土地の再分配に對する經濟的障害を排除するを目的として前記覺書(一九四五年十二月九日附)に基き制定された」ものであり「土地改革計畫の強力な実施は日本に眞に自由で且つ民主的な社会を創設するための先決要件である。本改革の実施は日本国民並びに連合軍占領の最も重要な目標の一となつている。従つて自創法等の嚴正且つ果斷な実施は不可欠な至上命令である」とし、「農林省は土地改革計畫の目的を阻害せんとして壓迫を加える組織的反動勢力の不当な干渉を顧慮することなく、現行手續に基き土地改革法の適用を受くべき一切の土地を即時買收する旨の訓令を都道府縣農地委員会及び市町村農地委員会に発すべきである」として、斷乎自創法所定の手續に基く農地買收の勵行を指示した。ここにおいて、自創法は連合国の日本管理法令としての性格を有することを指摘され、その規定の内容を憲法の条項と對比し、これが效力を云為することは本来許されないものであることが明らかにされたわけである。(中略)以上説示によつて明らかとなり、自創法は日本管理法令の性格を具有し超憲法的なものというべきであるから、自創法第六条に定める對價による本件農地買收処分を目して憲法第二十九条に違反するものとし、これが無效であることを前提とする控訴人等の本訴請求が失当であることは明らかである。

二、右判示によれば原判決は、日本政府が連合軍の指示に基いた場合には形式上純然たる国内法として制定せられた法律でも、憲法に超越してその支配を受けないものがあることを認め、問題の自創法は即ちこれに屬することを肯定したものである。これは連合国管理下における我が法制の基本に関する重大なる誤謬に陷つたものといわねばならぬ。連合国の我が国に對する今次の管理方法は、国内的には一応その主權を認め基本法制として新憲法を制定し、その下に立法司法及び行政機関を設け原則としては是等の機関は国民に對し獨立国と同様に憲法の規定に準拠して行動するものである。唯政府が連合軍最高司令官の指示により拘束を受くることのあるのは当然であるが、その指示に基き制定せられた法令といえどもその法令の憲法及び国民に對する性格においては一般の法令と異なるものではない。若し憲法の規定と相容れない事情を内容とする命令を必要とするときは、最高司令官は別途の方法によるべきであつて一般の法令による筈はない(芳賀四郎編「日本管理の機構と政策」参照)。苟も憲法上の手續によつて制定した法律が憲法に優越することを認むることは、立憲制の根本を破壊する許りでなく、連合国の管理方策にも反するものであつて、前示判旨はこれを認容する余地の絶對にないものと確信する。

三、しかのみならず、原判決が前示判旨の理由として援用した一九四八年二月四日附連合軍最高司令官の日本政府宛覺書は、これを熟讀するも單に自創法の勵行を指示激勵するに止まり、決して同法が憲法に優越するものであることを示したものではない。同覺書は土地改革を以て日本民主化の前提要件として不可欠のものであること、従つて反動勢力がその実施を阻害せんとすることあるを惧れ、一切の障害を斷乎排除して同法を勵行するよう強調するに止まるものであつて、その何れの部分にも同法が憲法に超越するものであることを指示する趣旨は見出すことは出来ない。従つて又日本国民が適法なる手段により同法に對し、憲法上與えられた基本的人權の擁護を、裁判所に向つて求むることを禁止するものでないことは明らかである。前示判旨は全く不可解といわねばならぬ。

第三点 原判決には憲法第二十九条の「正当な補償」の意味を誤解し、同条に違反する法律の效力を認めた違法がある。

一、原判決は本件農地買收對價の当否を判斷するに当り、左の通り判示している。

自創法第六条に基き本件農地買收の對價として定められた額が、憲法第二十九条第三項にいわゆる正当な補償に値しないとの控訴人等の主張はこれを採用しない。正当な補償であるためにはその物の自由取引價格を基準とする完全な補償でなくとも国家的社会的諸事情をも考慮して決定せられた合理的な額であれば足るものと解すべく、原判決説示のような算定の根拠に基き、農地價格として法定されたいわゆる自作收益價格は当時の情況の下においては、これを合理的な價格と認むべきことは原判決説示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

而して原判決が引用している第一審判決のこの点に関する判示を見るに「農地所有權の本体は農地を自ら耕作して使用收益し得ることに存するものと解すべきである。従つて農地の買收によつて生ずる損失の補償は自作收益價格をその基準とすることは正当であるといわなければならない」とし、その自作収益價格の算出は左の通りにして行われたものであることを認めている。

自創法第六条第三項によると農地の買収價格は原則として田にあつては土地台帖法(地租法)による賃貸價格の四十倍、畑にあつてはその四十八倍の範圍内に定めることになつている。そして右のような基準を定めるについては中庸田について自作農の反当純収益(反当生産米の價格から生産諸掛費及び公租公課の負擔額を控除したもの)から、四分の利潤を控除した地代相当部分である金二十七円八十八銭を、国債利廻三分六厘八毛で還元して自作収益價格七百五十七円六十銭を得た上、これを中庸田反当の標準賃貸價格十九円一銭で除した三九、八五を四〇に引直し云々。

仮に買収農地補償の基準を自作収益價格に置くこと、及び自作収益價格算出方式を是認するとしても、その各因子の具体的数字が何れも合理的に決定されることが、要件であることはいうを俟たぬところである。而して農地所有者はその對價を受くることによつて、恒久的に農地の所有権を喪失するものであるからその對價は臨時特殊の事情に影響せられることなく、出来るだけ正常の情態を基準とすべきことも当然といわねばならぬ。然るに右因子中最も重要なるものの一である生産米の價格として自創法が採用した数字は、その生産米を供出米と自家保有米とに區別し、自家保有米については供出米の公定價格の半額をその公定價格として採用していることは当事者間に争いないところである。供出米については暫くこれを措き、自家保有米について採用したいわゆる消費者價格なるものは、当時消費者の購買力を勘案し生活安定のため臨機特殊の処置としてとられた非常對策であつて、その差損は国家がこれを負擔しているものであるから、決して米の正常價格に該当するものではない。即ち消費者がこれにより受くる特別の利益は国が與える特別の恩恵であつて、米の本来の價格とは無関係のものである。自創法が生産米の價格を定めるに当り、この價格をも併せて採用したのは著しき不当である。この如きことが認容せらるるならば、国は如何なる物についても常に自由にその公定價格を定め、これを基準としてその物を買収することが出来ることとなり、憲法第二十九条の「正当な補償」なるものは遂に有名無実な空文と堕し去るであろう。

二、前述の自作収益價格算出の基準として採用せられた米價は昭和二十年に定められた石当り百五十円であること、並びにその後急激なインフレーシヨンの結果、本件農地買收の実施された昭和二十二年度産米に對する公定價格が石当り千七百五十円以上となつたに拘らず、本件買収價格は最初定められに昭和二十年の規定によつたものであることは顯著なる事実であり又当事者間にも争いないところである。而して原判決はこの点につき左の通り説明している。

もつとも自創法制定後インフレの昂進に伴い貨幣價値が暴落していることは顯著な事実であるが、農地の統制が依然として繼續し、その自由処分が制限され、小作料も引續き釘付にされている限り地主にとつては農地の價格は經濟事情の変動に拘らず恰も小作料を産み出す一定額の預金債權と化したものとも見られるのであつて、右小作料額を資本還元した前記自作収益價格を以て正当な農地價格といわなければならない。

しかも、本件農地の買収処分決定が昭和二十二年十二月十日に行われたことは当事者間に争いないところ鑑定人近藤康男の鑑定の結果によれば、自作田収益價格は、昭和二十年米穀年度は米價石当り百五十円を基礎として反当七百五十七円同じく三百円を基礎として反当二百二十五円、昭和二十一年、二十二年兩米穀年度はいずれもマイナスである事実が認められるから、昭和二十一年十月二十一日公布の自創法第六条所定の農地の買収對價を昭和二十二年十二月十日に行われた本件農地の買収對價決定に適用することは、むしろ控訴人等にとつて有利であるというべきである。と。

然れども右前段の説明はインフレを理由として小作料の増額を要求する場合ならば格別、今は農地の統制にかかわらず、これを賣却して暴落した貨幣と交換しようとする場合であるから、右は全く見当違いの説明たることを免れない。

三、次に右後段の判旨であるが、貨幣價値が激落して一般の物價は忽ちにして十倍百倍と暴騰した際に、獨り農地の自作収益價格だけが舊態依然として影響を受けぬということは道理上あるべからざることである。況んや却つてマイナスとなるというに至つては、言語同斷というの外はない。企業の現実においては欠損ということは屡々あることである。農地の耕作においても旱害或は風水害等の場合、収支償わず欠損を生ずることは固よりあり得るであろう。併し乍らこれは何れも現実施業の結果である。然るに今問題の場合はこれと異なり抽象的に中庸田を耕作するものと相定し、合理的の肥料労力を費し、平年水準の産米を収穫した場合を前提とするものであるから、苟もその因子として採擇した数字が合理的なる限り欠損を来たすような余地は絶對にない筈である。若し算数上欠損を生ずる結果となつたとしたら、それは合理的なりとして採用した数字の中に合理でないものが存在していたという、確証を示すものに外ならぬ。思うにこれは生産米に對する公定價格が低きに失したためであろう。従つて單にこれのみよりするも、自創法第六条により算定された買収農地の對價が正当な補償でないことは完全に立証せられたものといわねばならぬ。或はインフレは一時的の現象であるから、農地買収という恒久的政策の実施に関しては無視するを正当とするとの論があるかも知れぬ。併しながら我が国這次のインフレは大戰のため物資消耗の結果であつてその消耗を恢復するまで相当期間存續するものであることは、一般に熟知せられる所であり、一時偶然の事情に基く線香花火的のものでないことは今日においては既に証明濟であり、所論は採るべきでないこと明らかである。

以上

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